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金剛院の由来

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安房國朝夷郡白子村
真言宗新義 
西方山 安楽寺 金剛院
一、当寺開基の儀は往古天禄(九七〇)の頃、元真と申す僧当國に来たり、この地は弥陀来迎の所歓喜道化の勝地なり
すなわち一宇建立されました 尚又所持の菅家の御真筆の神影を寺鎮となし 永く境内に勧請つかまつり此れ有る由、傳之申されました
其れ以後嘉吉年間(一四四一)土地の豪族安西・丸氏の戦い起こり、戦火にかかり諸什宝等残らず消失致し石の鳥居の破損を残すのみ、依って開基並びに世代等往昔の興廃は明らかにわからず、然る所法印祐辨と申す僧有り、寛永の始め寺の再興を致しました
一、本尊 阿弥陀如来 御丈二尺五寸 但し座像なり
一、客殿 南北七間半 東西六間 但しカヤブキ
  右は大破に及び 天明二寅年十二月十二世憲盛造立せり
一、庫裡 東西八間 南北四間 但しカヤブキ
  右は客殿と同年に憲盛の代造立致すものなり
一、鎮守天満宮社 東西八尺 南北六尺五寸
  右は往古より境内に勧請せしなるも破損に付き文化十年二月造立致しました
一、護摩堂 東西三間 南北二間四尺
一、山門 東西二間 南北一間四尺 文化十二亥年五月造立
  右は往古より境内に在りました
  その後、大正十二年九月一日関東大震災で金剛院建物は何ひとつ残らず全壊致しました
  昭和八年石井謙道和尚当寺入山致し、昭和十一年六月現寺本堂並びに庫裡建立 現在に至る
昭和五十八年三月彼岸記之

本堂上棟記念写真

昭和9年(1934)10月吉日 上棟
金剛院二十二世 石井 謙道 代
大工棟梁 佐野 政次郎

写真寄進 2000年4月吉日
上棟時世話人 水嶋 永五郎 孫
川崎岱 水嶋 良昭

「興教大師誕生九百年奉修記念事業」

平成9年度

客殿兼檀信徒会館の建設

平成12年度

庫裡の建設

平成10年から12年

11年4月 国道沿い擁壁工事 完了
11年6月 墓地西側擁壁・通用門 竣工
12年4月 本堂客殿裏擁壁・通用門 竣工

平成14年3月

御水屋 竣工

平成16年12月

外便所 竣工

平成18年7月

墓地改葬公告

平成19年8月

墓地整理

平成20年3月

永代供養墓(合祀墓) 竣工

平成22年7月

軍荼利明王・地蔵菩薩堂 建立
国道からお参りしていたが、国道の交通量が増えたため、向きを変更して建て直した

平成27年12月

観音堂 建立
昭和7年に建立されたが、傾いたので建て直した
観音堂両袖擁壁 完成

  • 代替画像

    軍荼利明王・地蔵菩薩堂

  • 代替画像

    観音堂